感情がなくなればいいのにと、時折思う。
感情がなくなれば。
寂しいと感じることも、腹が立つことも、涙を流すこともなくなるのに。きっとつまらない人生になるだろうし、つまらない人間になるんだろうけど、それでもいいから無感情になりたいと思う。もしくはひとりになりたい。またもしくは辛いとか悲しいとかさみしいとかいう感情をむしろ楽しめるような強さを持ちたい。
誰も悪くないと暗示をかけ続けるけど、頭では分かっているんだけど、心がついていかない。そのせいで言わなくてもいいことを言ったり、逆にため込んでしまったり、暗示をかけすぎてそれが暗示なのかもともと私から生まれ出た感情なのかが分からない。仮面を着けすぎて自分の顔が分からなくなったみたいだ。
でも大丈夫なのだ。
泣きながらでも、もういやだと思いながらでも、バレーの試合にテンション上がって応援はしちゃうし、いつか書きたい小説のネタを考えながらお風呂にも入るし、仮面を着けすぎて自分の顔が分からなくなったかもなんて自分でキーボード打ちながら、なんかそれって三郎じゃね?なんてことを考えられるのだ。
つまりは悲しいとかさみしいとか辛いとか、感じるけどその感情に囚われてはいないのだ。その感情に自分を奪われてはいないのだ。まだ他のことを考えられるなら大丈夫なのだ。なのだなのだってなんか某パパみたいで可笑しくなってきた。
大丈夫。
私は間違ってないし、相手も間違っていない。
私は間違ってるし、相手も間違ってる。
でも、誰も悪くない。そしてみんな悪い。そういうことなんだ。
主観でも客観でも、こうだと決められはしない。そういう複雑な問題。
だからその結論に、私の未熟な心が追い付くのをただ待つばかりなんだ。その心の成長過程で出来る限り激情に任せて言葉を発しないことが重要だ。
大丈夫。大丈夫。少し感傷的になる日はだれしもある。そんな日に誰にも頼らないというのが、私のポリシーなのです。
だってこの辛さも涙も苛立ちも、全部相手のせいで自分のせいで。この感情を完璧に理解できるのは、私だけなのです。
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