泰衡→望美→知盛です。
泰衡の悲恋モノ。悲恋が苦手な方はお戻り下さい。
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鎌倉方との和議が結ばれた夜。
月が淡く白い光を放つ、美しい夜。
あと僅かで平泉に訪れるであろう平和を前祝いだと、開かれたささやかな宴の最中に。
誰にも気付かれる事なく、気配を断ち静かに場を辞する宴の主役に、泰衡だけが気付いた。
…あまり話した事は無い間柄だ。ましてや互いに非友好的である。
だが、何故だろうか。するりと外へ行った彼女が妙に気になってしまい、泰衡はそっと立ち上がった。
御所の広く整った庭の一画に彼女は立っていた。
銀曰く、可憐な野の花。
九郎は、勇敢な姫将軍だと彼女を評す。
そして世は彼女を、敬意や微量の畏怖を込めて源氏の神子と呼ぶのだ。
白き龍の神から寵愛されし唯一無二の少女、春日望美。
だが今、庭にぽつんと立ち月を見上げる少女の背は、ひどくちっぽけだった。
それでいて鈍色の月光を身に纏っているものだから、今にも消えてしまいそうな程に儚い。
月から舞い降りた天女か否か。泰衡は柄でもない事を考えている自身に苦く笑う。
さて、追いかけてはきたものの、どうするべきか。
そもそも彼女が誰にも声をかけず外へ出て来たのなら、一人になりたかったのではなかろうか。
しかしこのまま踵を返すのも味気ない。
泰衡は暫し考えた後に、一歩彼女の背に歩んだ。
「戦の最中は修羅の如き活躍をされる神子殿に、月を愛でるご趣味があったとは」
「っ!?」
「おや、私の気配にお気付きで無かったと。戦乙女が聞いて…呆、れる」
そうだ。相手は春日望美。今更、どう話しかけようかなど悩む相手では無いのだ。
互いに遠慮も、好意も無い相手。ならばいつも通り、こちらの皮肉にも相応の台詞を飛ばしてくるに違いない。
そう踏んだ泰衡は、振り返った望美の顔を見て驚愕した。
いつも気丈な少女の瞳が濡れていたのだ。
「………神子殿」
生憎と他人を慰めた経験は持ち合わせてなどいない。そして慰めの言葉を考えつく程の優しさも、無い。
だが何かしなくてはと、変に焦りばかりが湧いてくる。こんな心地は初めてだと、泰衡は顔には出さずに惑うばかりで。
「…和議、まとまりそうですね」
望美は止め処なく涙を流しながら口を開いた。
その会話に乗るべきか、涙の理由を聞くべきか、立ち去るべきか。
すぐに答えが出せず、泰衡はただ曖昧に頷いた。
「…ああ」
「良かった。これでこの時空は安心です。…心置きなく、時空を越えられる」
「何?」
よく飲み込めない話の内容に泰衡は眉間の皺を深くさせた。
望美は乱暴に目を拭い、泰衡ににっこりと笑って見せる。
赤い瞼が痛々しい。
「泰衡さん、私きっと、この世界中の誰よりも悪人なんです」
「…穢れなき清浄な存在である貴女が、か?」
「沢山の人達を犠牲にして、裏切って、不幸にして、今の私があるんです。たくさんの死の上に私は立っているんだよ」
何を馬鹿な。そう鼻で笑ってしまいたいが、そうするには彼女の笑顔が切なすぎた。
自分とて似たようなものだと、泰衡は自嘲を浮かべる。
「人の上に立つ人間とはそういうものだ。仕方の無いこと故、神子殿が泣く必要は無い」
「そうだね、泣くのは卑怯。私はまた今夜、きっと沢山の人を悲しませるのに」
「…何をするつもりだ」
まさか自害でもするというのか。泰衡は珍しく焦りを表情に出した。
素早く望美の両手を見るが、凶器は無い。その事にほっと安堵する。
代わりに彼女が手にしていたのは、かつて泰衡が奪った逆鱗だった。
大いなる陽の力の塊。その力を最大限引き出せるのは望美ただ一人だ。
「まさか、その力で平泉を地獄絵図にする算段では無いだろう」
「せっかく訪れる平和な日々を壊すはずありません」
「ならば神子殿、貴女は一体何を考えている?」
「ただひとりの、愛しい人」
返ってきた答えは全く予想外のもので、泰衡は面食らった。
誰からも愛される望美だが、彼女が誰かを愛していたとは知らなかった。
「何度も何度も時空を越えたの。そのたびに大切な人達を放り出して」
また望美の目から一筋流れた。ぴくりと何故か指が痙攣して泰衡は拳を握る。
「それでも助けられないんだ。どんな道を辿っても、いつもあの人は海に消えてしまう。私が、殺して、しまう」
「神子殿」
「でも、和議なら。もしかしたら。やってみる価値はあるなって思ったの」
逆鱗が一瞬輝いた気がして、泰衡は無意識に望美の腕を掴んでいた。
望美は目を丸くして泰衡を見上げ、その表情に泰衡も自身の行動に気恥ずかしくなり手を離す。
一体何をしているのだ、自分は。
「不躾な振る舞い、失礼した」
「大丈夫です。ねえ泰衡さん、最後にお願い聞いて下さい」
「最後?」
「間違ってないって言って。頑張れって。…やだな、また…」
望美の瞳からはまた涙が溢れ出ていた。彼女は何に対してこれほどまでに悲しんでいるのだろう。
元八葉と相対した時も、銀が大社に現れた時も泣かなかった彼女をここまで泣かせるなど。
泰衡は望美の肩にそっと触れた。思っていたよりずっと華奢だった。
「神子殿、貴女の行く道に間違いは無い。迷う事なく、信じた道を行けば良い」
「やすひら、さん」
「だが気負うな。貴女はご自分を取り巻く全ての事柄に、既に尽力している。今以上に頑張る必要は無い」
口にしてから、泰衡ははっと我に返った。彼女の望む言葉を言えば良かっただけなのに。
「ありがとう、泰衡さん」
望美は泣きすぎて真っ赤になった目で柔らかく微笑んだ。
その笑顔につい眉間の皺が緩んでしまった時、望美がさっと体を離して。
唐突に喪失感に襲われ、泰衡はぞくりと背筋を粟立たせた。
「神子殿っ」
「私、行きます」
「待て!何処へ行く!」
離れて行く望美の姿が、神々しいまでの目映さを放ち始めた。
その光景は美しいというのに、どこか寂しい。
望美は同じく光を放つ逆鱗をしっかりと握り締めた。
「泰衡さん、さようなら。末永く平泉を安寧の地にして下さい」
「俺の質問に答えろ!神子殿!」
「今度こそ全員を幸せにしてみせます。そして私はあの人を、力ずくでも手に入れる」
その愛に狂った言葉を最後に、望美の姿は跡形も無く消えた。
最後の望美の力強い眼差しが脳裏に焼き付いて消えなくて。
ふと背後で草を踏む音が聞こえ、振り向くとそこには銀髪をたなびかせた白龍が立っていた。
その顔は極めて哀愁を帯びており、だが泰衡にはやんわりと微笑んで見せる。
「行ってしまったんだね、大好きな神子。私と神子を繋ぐ糸が切れたよ」
「神子殿が何処へ行ったか知っているのか」
「何処にもいない。どれだけ捜しても、もう会えない所へ行ってしまった」
胸が痛むのか、その箇所に手を当て白龍は目を伏せた。
何が何だか分からない。だが目の前の神は嘘をつく性格では無いのは重々承知。
泰衡は自らの胸も痛み始めたのを感じ、敢えて気付かない振りをした。
周囲の期待を一身に背負い、常にそれに応えてきた源氏の神子。
凛々しい彼女の姿に、八葉も龍神も、心の無い人形でさえ心を奪われたのだ。
だが慕われるが故に彼女は自らの弱さを彼らの前では見せなかったのではなかろうか。
だから、つい先日まで敵対していた泰衡に泣き顔を見せてしまうまでに、追い詰められていたのでは。
何が彼女をそこまで追い詰めていたのか、泰衡には知る由も無い。
しかし計り知れない悲しみを抱きながらも、彼女は前に進む事を止めはしないのだ。
それが春日望美という、気高い少女なのだから。
「…俺とした事が」
失ってから気付くなど、情け無い。
いや、本当はずっと前から彼女に自分も惹かれていたのだ。
仮定の話は嫌いだというのに、つい願ってしまった事があるではないか。
もしも貴女が、もっと早くこの平泉を訪れていたら…と。
「神子殿…どうか、健やかに」
もう顔を見る事叶わぬ愛しい人へと。
泰衡は小さく、満月に向かって呟いた。
完
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予想以上に長くなってびっくりした(笑)
とりあえず望美が書きたくて書き始めたらこんなんなった。
…銀が一番可哀想だと思う(一応銀ルート後の話なので)
あああ望美好きだァァァ!!
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